48歳から生まれ変わると考えた女のブログ

自分を生きてなかったことに人生折り返しをすぎてから気づきました。

恥ずかしながら、そういえば私も女の子である。

今日は胃がキリキリしていたので、なんのストレス??と思い、ソファに横になりながら考えていた。

 

そういえば、痛み出す前にパート先から連絡があり、木曜にも仕事に出られるか?という依頼があり、引き受けたという経緯があった。

 

火曜、水曜も6時間と長いシフトが入っていた上に、木曜は7時間シフト。このペースだと週末は倒れ込むのが経験上わかっている。

 

しかし人がいなくて困っているならお手伝いはしたいなという思いもある。

 

胃のキリキリに優しい言葉をかけてみる。すると、前の職場での男のパワハラ上司に理不尽に怒鳴られたことや、若い頃に性的な虐待を受けたことが蘇ってきた。

 

わりと昔から辛くても人には言わずに耐えるとか、女の子として得をしていい場面を避けてきたりとか、今思えば自分に辛抱をしいてきた生き方だったなと思う。

 

それをやめなさいよ、というサインで虐待やらパワハラやらが起きたのではないか、とすら考えた。

 

ふと、女の子としての自分を本来はもう少し甘やかしてあげてもよかったんじゃないか、そんな風に思った。

 

でも、そんな風に生きると、男のように苦労して生きてきた母に、なんとなく嫌われてしまうような気がしていた。それも怖かったと思う。

 

しかし、もう私の人生に母親は関係はない。ずいぶんと長い間、女の子を抑えてがんばってきた自分をそろそろ許してやってもいいのではないか、人生の最後に少しくらい甘やかしてやってもいいのではないか、と思えてきた。

 

女の子は柔らかい存在である。乱暴に扱うとあっけなく壊れる。でも柔らかいからこそ優しく包み込むことができるのだろうとも思う。

 

少し胃のキリキリが落ち着いてきた。

 

なにも男性のようにバリバリと仕事をしなくてもいいだろう。できることを丁寧に、花を添えるつもりでパート先でも働いてこようと思う。