いつまでも甘えん坊の娘。親も本音は親を卒業したいのである。
高校3年生の娘がおりまして、この土日は娘とふたりだけで過ごしたのですが、精神的に甘えん坊な娘なもので、ずっと家にいます。
外でご飯を食べるのが好きな子で、色々と行きたがります。
私が甘えさせてきたのもいけないのでしょうが、そろそろ親離れをしてほしい。
なんというか、面倒をみるラインを決めておきたい、という感覚がわいてきました。
無限に親から養分を与えてもらうわけにはいかないのですよ。親も年をとりますし、親もまたひとりの人間、人生があるわけです。
年をとり、体力や精神力も減退し、経済力だって落ちていきます。しかも、下にはまだ4歳の息子もおるわけです。
今日は何を食べるかなとレストラン街を歩いていて、私はお好み焼きが食べたいと言いましたが、娘は海鮮丼が食べたいから、と魚屋に。
いつもなら譲ってもらっている娘は、少し不機嫌になった私に気を遣いはじめました。結局魚屋で食べましたが、とくに会話もせず、食べるだけ食べて帰りました。
外に出て食べる時、いつも娘は私が頼むものより1.5倍くらいの値段のものを頼みます。普段節約しているのでつづくとしんどくなります。
夏休みだったということもあり、何かと娘のリクエストであちこち食べに出ていたので、いつまで甘える?というイライラも溜まっていたのだと思います。
そろそろ、お互い別の人間として、少し距離をおいて過ごしたいものです。
高校、専門の6年間の学費は700万になりますが、学生ローンも背負わせず、なんとか親のお金で支えてやります。
もうそろそろ、彼女は自分で養分を生み出し、自分の人生を自分の力で生きていくことを真剣に考えてよいはず。
そうなれたほうが、一時的にはしんどくとも幸せなはず。
いつまでも親に甘えられるとおもうな、娘よ。いつかちゃんと話してやらねばと思う。
何もない主婦でも、60代、70代も働きつづけたい。
50代でこれといった特技もない主婦が、この先長く稼いでいくにはどうしたらいいのだろう。
49歳から、キッチンの仕事で働き始めたのだが、なんとかギリギリ体力と知力がついていっている感じである。
キッチンの仕事でいつまで働けるだろう、という不安。
私としては長く働いていきたい。それはまだ幼稚園の息子がいるから。あと20年近く、せめて70歳くらいまではがんばりたい。
60代も働くことを考えたら、50代での仕事選びをどうしたらいいのだろう。今のままキッチンでの経験を積み重ねていくのがいいのか、それとも。
キッチンの仕事は頭も体力もつかうし、元気な老後のためにはいいなと思っている。食べ物に触れることも好きだ。
ひとまずは、今のパート先がひとつの私の居場所となり、チームとして認められるようになればやりがいでもあると思う。
50代はキャリアというより、体力や協調性を養うつもりでいいか。その頃には状況や考え方も今とは変化もしているだろう。
マクドナルドで働いているシニアの方をたまにみかける。励みになっている。歳をとっても化粧をしたり髪型を整えたり、丁寧な所作であったりと、仕事以外での若々しさも印象的だった。
自分には何ができるかわからないけれど、とにかく今はやれることをがんばっていく、それしかないのかな。
歳をとるのはしょうがない。健康でいて、何かしら働く場があれば幸せだ。幸い体は健康だし更年期もまだない。こどもも可愛い。旦那も元気で働いてくれている。親もなんとか自立してがんばっている。
じゅうぶん幸せだ。
元気で明るいおばあちゃんになれるよう、お金をもらいながらがんばれるんだから、なんともありがたいことだ。
来週からのパートもがんばれそう。
死ぬ瞬間の後悔と生まれ直し。
人が死ぬ瞬間にする5つの後悔というタイトルで本が出ているらしい。
・自分に正直な人生を送ればよかった
・思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
・働きすぎなければよかった
・友人と連絡をとりつづければよかった
・幸せをあきらめなければよかった
これを元に、ひとつの想像力をはたらかせてみるワークがとある動画で紹介されていて、
実際やってみたら意外な気持ちにきづいた、という話。
自分が歳をとり、今日明日にも死にます、という時をリアルに想像する。
しばらくリアルに想像したら、そこに神様があらわれて、今まさに動画を見ている今の自分に戻してくれるチャンスを得る。
そのとき、自分は何をしたいと思いますか?というものだった。
これを本当にリアルに想像してみた。
歳をとり、主人も先立っていて、
子供たちはそれぞれに家庭を持ち、ひとり病院のベッドにいる。
呼吸も浅くなり、もうそろそろお迎えかなと思う。
いくつか後悔めいたものもでてくる。
自分の気持ちを人に伝えてこなかったなとか、
人の言うことに振り回されて自分ってものがあまりなかったな、とか。
そして今の自分に戻るチャンスをもらう。そしてその時に思ったことは「人に元気にしたい」ってことだった。
普段、そんなことはあまり思わないので正直意外だったけれど、
思い返せば私はもともとそんな人間だった。
でも空回りしてる気がしたり、自信がなかったりして、だんだんと心を閉ざしていったような気もする。
気づいたテーマとしては本当の自分を生きるって感じなんだと思う。
そういえば、前のパワハラ上司に理不尽に怒られた時も、衝動的にでてきた言葉が「言いたいことも言えないなら辞めます」だった。
自分でもこんなにはっきりと言い切ったことにも驚いたし、言いたいこと言えなくて嫌だったんだ、と自分でもはっとした。
パート中、理不尽に怒られてもすみませんと謝り、本当に必死に働いたけれど、それでもできてないと叱られ、もっとを要求されていたけど我慢していた。
ちゃんと自分ってものを生きたいし、人にもそんな風に生きることのエールを送りたい。
それに少し気づいただけでも、なんかよかったなと思う。
恥ずかしながら、そういえば私も女の子である。
今日は胃がキリキリしていたので、なんのストレス??と思い、ソファに横になりながら考えていた。
そういえば、痛み出す前にパート先から連絡があり、木曜にも仕事に出られるか?という依頼があり、引き受けたという経緯があった。
火曜、水曜も6時間と長いシフトが入っていた上に、木曜は7時間シフト。このペースだと週末は倒れ込むのが経験上わかっている。
しかし人がいなくて困っているならお手伝いはしたいなという思いもある。
胃のキリキリに優しい言葉をかけてみる。すると、前の職場での男のパワハラ上司に理不尽に怒鳴られたことや、若い頃に性的な虐待を受けたことが蘇ってきた。
わりと昔から辛くても人には言わずに耐えるとか、女の子として得をしていい場面を避けてきたりとか、今思えば自分に辛抱をしいてきた生き方だったなと思う。
それをやめなさいよ、というサインで虐待やらパワハラやらが起きたのではないか、とすら考えた。
ふと、女の子としての自分を本来はもう少し甘やかしてあげてもよかったんじゃないか、そんな風に思った。
でも、そんな風に生きると、男のように苦労して生きてきた母に、なんとなく嫌われてしまうような気がしていた。それも怖かったと思う。
しかし、もう私の人生に母親は関係はない。ずいぶんと長い間、女の子を抑えてがんばってきた自分をそろそろ許してやってもいいのではないか、人生の最後に少しくらい甘やかしてやってもいいのではないか、と思えてきた。
女の子は柔らかい存在である。乱暴に扱うとあっけなく壊れる。でも柔らかいからこそ優しく包み込むことができるのだろうとも思う。
少し胃のキリキリが落ち着いてきた。
なにも男性のようにバリバリと仕事をしなくてもいいだろう。できることを丁寧に、花を添えるつもりでパート先でも働いてこようと思う。
年の離れたこどもを育てることの息切れ感。
夏休みもほぼほぼ幼稚園のお預かりに行かせている息子。本人は元気に通ってくれているが、夏休みらしいこともさせてやりたいと、水曜日だけは休ませている。
今日は朝から海水浴に連れていった。生まれて2度目の海水浴、今日は初めて海の中でゆらゆらと泳いだ(1回目は波打ち際で波に打たれて遊んだだけ)。
今日の息子の嬉しそうな顔といったら…。初めて海で泳いだ嬉しさを、この目と、腕に寄りかかる感触を通して私も楽しんだ、ありがたい気持ちだった。
とはいえ、基本的にあまり熱心にこどもの相手をできる自分ではないと思う。家事に逃げたいし、パートはいい言い訳になる。それに時間ができたなら、できるだけひとりでのんきにすごしたいのが本音。
うえの娘が17歳、したの息子が4歳。やっと母親業から解放されると思っていたら、また2ラウンド目が始まったという息切れ感もあるだろう。
だからこそ、たまには年をとった自分の尻を叩いてこども孝行をやってみる。たぶん、仕事や家事に逃げてそれらしいことをしないまま大人になってしまったら、それはずっと後悔するとも思う。
さて。下の子が高校を卒業するときに私は62歳である。教育費の次は老後資金つくりが待っている。マンションのローンも79才まで残っている。夫婦共に走り続けることが確定している。はああ〜と大きなため息をつきたいところだが、ゴール(引退して優雅に過ごせる時間)はいつか必ずくると信じて、今をしっかりがんばるしかないなと思う。
団塊の世代ジュニアの私。若者に負担はかけたくない。細々とでも長く現役ではたらいて生きたいものだ。
気持ちの生まれ変わりに、体もついてきてほしいと思う日々。
最近パートも始めて、今後は堅実に生きていくぞ!家族の支えとなり、家族と幸せになっていくぞ!と気持ちが生まれ変わったものの、
体がおっつかない、ともどかしく思う日々がつづいている。できれば月に80時間くらい働きたいと思うが、体が疲れすぎて家事がおいつかなくなる。
メンタル面にずっとフォーカスしてきて、改善もみられるようになったけれど、
体のことをほったらかしだったのかもしれない、と思う。
昨夜はその思いを空に投げて眠った。
朝、メールチェックをしていたらとあるマルシェの案内があり、そこに出店している「原始反射の統合」なるものに目を引かれた。
胎内にいるときに胎児は身を守るための「原始反射」というものがあるらしい。それが生まれた後も残ってしまっていると、心うんぬんの問題以前に、不安感やら緊張やらが発動しやすかったりするらしい。
これぞまさに、心とは関係のないところでの身体面の不具合調整のすべ。
マルシェでお試し価格で受けられるそうなので、これは昨夜の願いへの答えのひとつかも?と検討してみている。
あとは、仕事中や家事育児の最中に、イライラ感や緊張感、焦りなどが起きてきたら、自分の気持ちのあり方をどうこうしようとするのではなく、自分の体に向かって「頑張ってくれてありがとう」と、労いや優しい気持ち、感謝の気持ちを向けてみようと思う。
知識欲がうすれ、残りの人生に望むことは堅実さ。
私は35歳頃から、講座やらセミナーやらを受けるようになっていった。
1日のセミナーで数万円というものもあった。自分の知らない世界のことを教えてくれることが楽しくてしょうがなかった。
でも今はまったく行かなくなった。
かつて、受講した直後は高揚感もあり「受けてよかった」と思うのだが、それで人生変わったのか?と考えるとそうでもないな、と思うようになったのだ。
そうなると、費用が無駄だったと思えるだけでなく、他者がつくった思考に頭が染まってしまい、ただただ影響されて他者の戦略を生きてしまった、貴重な人生の時間の無駄をしてしまったと思うのだ。
結局は自分なのだなと、つくづく思ったのだ。10年以上かかってしまったが。
ちゃんと自分と向き合い、自分の心にしっかりと耳を傾けながら、自分自身とタッグを組んで生きてきた方がよかったんじゃないのか、という後悔をたくさん残してきた。
回り道や無駄をしないと気づかなかったことであろうとも思う。
自分にとってはこれが大事、というのがわかっても、それがあまりに地味すぎて納得できなかったのだなと、振り返れば思う。
結局は家族である。私にとって大切なものは家族であった。あとは見えない力によって生かされていることを知り、感謝して受け取るということだった。
しかし若いうちはエゴも強いし、なにより知識欲もすごかった。ひとつを知れば、もっともっとと思う。華々しい世界観や知識を得るたびに、本来自分はすごい人間なんだとどこかで考えるようになっていた。
それが本当によけいなエゴだったなと思う。
最近は、新しいことを知りえても、だからなに、と思うようになった。自分が求めるものが、もう違うところに変わってしまったからだろう。
知識は道具でしかない。役に立たない道具ならいらない。道具を揃えることに萌える時間は終わった。
今はしっかり稼いでいきたいと思っている。べつに外車に乗って海外旅行してブランドバッグが買いたいわけではない。赤字の生活から黒字へと転換し、将来への備えや、こどもや未来の孫を多少なりとも応援できるくらいの財産をつくっておきたいのだ。
歳とともに、良い意味で欲も体力も減り、食べたいものや着飾りたいものもなければ、体力も落ちてきているので遠い国までせっせと出かけたいという欲もなくなった。
ただ堅実に生きていきたい。そして安定した基盤を築き、こどもが何かに挑戦したいときや力不足のときに支えとなり、お母さん、ありがとうと言ってもらえたら、生きてきた甲斐があったかなと思えると思うのだが。
パートに出るようになって2ヶ月。まだ社会復帰リハビリ中だが、4歳の息子が10歳になる頃にはフルタイムで働けるようになりたいと思っている。それまではパートで体力と社会性を身につけておきたいし、少しでも貯蓄を増やしたおきたい。
50代〜60代でもいい仕事ができますように。
49歳と3ヶ月で思うことはこんなことである。