48歳から生まれ変わると考えた女のブログ

自分を生きてなかったことに人生折り返しをすぎてから気づきました。

年の離れたこどもを育てることの息切れ感。

 

夏休みもほぼほぼ幼稚園のお預かりに行かせている息子。本人は元気に通ってくれているが、夏休みらしいこともさせてやりたいと、水曜日だけは休ませている。

 

今日は朝から海水浴に連れていった。生まれて2度目の海水浴、今日は初めて海の中でゆらゆらと泳いだ(1回目は波打ち際で波に打たれて遊んだだけ)。

 

今日の息子の嬉しそうな顔といったら…。初めて海で泳いだ嬉しさを、この目と、腕に寄りかかる感触を通して私も楽しんだ、ありがたい気持ちだった。

 

とはいえ、基本的にあまり熱心にこどもの相手をできる自分ではないと思う。家事に逃げたいし、パートはいい言い訳になる。それに時間ができたなら、できるだけひとりでのんきにすごしたいのが本音。

 

うえの娘が17歳、したの息子が4歳。やっと母親業から解放されると思っていたら、また2ラウンド目が始まったという息切れ感もあるだろう。

 

だからこそ、たまには年をとった自分の尻を叩いてこども孝行をやってみる。たぶん、仕事や家事に逃げてそれらしいことをしないまま大人になってしまったら、それはずっと後悔するとも思う。

 

さて。下の子が高校を卒業するときに私は62歳である。教育費の次は老後資金つくりが待っている。マンションのローンも79才まで残っている。夫婦共に走り続けることが確定している。はああ〜と大きなため息をつきたいところだが、ゴール(引退して優雅に過ごせる時間)はいつか必ずくると信じて、今をしっかりがんばるしかないなと思う。

 

団塊の世代ジュニアの私。若者に負担はかけたくない。細々とでも長く現役ではたらいて生きたいものだ。