48歳から生まれ変わると考えた女のブログ

自分を生きてなかったことに人生折り返しをすぎてから気づきました。

知識欲がうすれ、残りの人生に望むことは堅実さ。

 

私は35歳頃から、講座やらセミナーやらを受けるようになっていった。

 

1日のセミナーで数万円というものもあった。自分の知らない世界のことを教えてくれることが楽しくてしょうがなかった。

 

でも今はまったく行かなくなった。

 

かつて、受講した直後は高揚感もあり「受けてよかった」と思うのだが、それで人生変わったのか?と考えるとそうでもないな、と思うようになったのだ。

 

そうなると、費用が無駄だったと思えるだけでなく、他者がつくった思考に頭が染まってしまい、ただただ影響されて他者の戦略を生きてしまった、貴重な人生の時間の無駄をしてしまったと思うのだ。

 

結局は自分なのだなと、つくづく思ったのだ。10年以上かかってしまったが。

 

ちゃんと自分と向き合い、自分の心にしっかりと耳を傾けながら、自分自身とタッグを組んで生きてきた方がよかったんじゃないのか、という後悔をたくさん残してきた。

 

回り道や無駄をしないと気づかなかったことであろうとも思う。

 

自分にとってはこれが大事、というのがわかっても、それがあまりに地味すぎて納得できなかったのだなと、振り返れば思う。

 

結局は家族である。私にとって大切なものは家族であった。あとは見えない力によって生かされていることを知り、感謝して受け取るということだった。

 

しかし若いうちはエゴも強いし、なにより知識欲もすごかった。ひとつを知れば、もっともっとと思う。華々しい世界観や知識を得るたびに、本来自分はすごい人間なんだとどこかで考えるようになっていた。

 

それが本当によけいなエゴだったなと思う。

 

最近は、新しいことを知りえても、だからなに、と思うようになった。自分が求めるものが、もう違うところに変わってしまったからだろう。

 

知識は道具でしかない。役に立たない道具ならいらない。道具を揃えることに萌える時間は終わった。

 

今はしっかり稼いでいきたいと思っている。べつに外車に乗って海外旅行してブランドバッグが買いたいわけではない。赤字の生活から黒字へと転換し、将来への備えや、こどもや未来の孫を多少なりとも応援できるくらいの財産をつくっておきたいのだ。

 

歳とともに、良い意味で欲も体力も減り、食べたいものや着飾りたいものもなければ、体力も落ちてきているので遠い国までせっせと出かけたいという欲もなくなった。

 

ただ堅実に生きていきたい。そして安定した基盤を築き、こどもが何かに挑戦したいときや力不足のときに支えとなり、お母さん、ありがとうと言ってもらえたら、生きてきた甲斐があったかなと思えると思うのだが。

 

パートに出るようになって2ヶ月。まだ社会復帰リハビリ中だが、4歳の息子が10歳になる頃にはフルタイムで働けるようになりたいと思っている。それまではパートで体力と社会性を身につけておきたいし、少しでも貯蓄を増やしたおきたい。

 

50代〜60代でもいい仕事ができますように。

 

 

 

 

49歳と3ヶ月で思うことはこんなことである。