娘が抱える不安と強迫障害というもの。
昨日のことである。娘から「学校の先生から強迫障害ではないかと言われた。病院に行きたい。」と告げられた。
これまで心配性、不安症な面があるのは知っていたが、私の心のどこかで「病気」だと受け入れることが怖かったのかもしれない。
娘の心配性の根本は、自分を愛で守ろうとしているから、そんな風に感じていた。
大好きだよ、ありがとう、そんな風に言ってあげるといいですよ、とアドバイスを受けたこともあったが、人一倍、娘には愛情をかけてきたつもりでいたので、少し愕然とした記憶もある。
それからも、話をたくさん聞いてあげたり、抱きしめたり、ということは意識してきたが、どんなにそれを積み重ねても次から次へと新しい不安が起きて、これもう本当に終わりがない底なし沼なのか?とこちらが苦しくなったりもした。
しかし、昨日は強迫障害という言葉を知り、ネットで調べていくうちに娘によく当てはまるとわかったら、ショックな一面もあったが、
ずっと自分の中で無意識に「娘は病気」という現実拒んできたことにもスポットライトがあたり、前向きな気持ちへとシフトしつつあるのも感じている。
これも何か、私の娘の人生のプロセスのひとつなのだろうと思う。ホオポノポノでいうなら「クリーニングの機会を与えてくれてありがとう」である。
強迫障害というものとの出会いが私の人生で起きた。まずは日々「愛しています」とクリーニングすることから始めたい。