48歳から生まれ変わると考えた女のブログ

自分を生きてなかったことに人生折り返しをすぎてから気づきました。

娘が抱える不安と強迫障害というもの。

昨日のことである。娘から「学校の先生から強迫障害ではないかと言われた。病院に行きたい。」と告げられた。

 

これまで心配性、不安症な面があるのは知っていたが、私の心のどこかで「病気」だと受け入れることが怖かったのかもしれない。

 

娘の心配性の根本は、自分を愛で守ろうとしているから、そんな風に感じていた。

 

大好きだよ、ありがとう、そんな風に言ってあげるといいですよ、とアドバイスを受けたこともあったが、人一倍、娘には愛情をかけてきたつもりでいたので、少し愕然とした記憶もある。

 

それからも、話をたくさん聞いてあげたり、抱きしめたり、ということは意識してきたが、どんなにそれを積み重ねても次から次へと新しい不安が起きて、これもう本当に終わりがない底なし沼なのか?とこちらが苦しくなったりもした。

 

しかし、昨日は強迫障害という言葉を知り、ネットで調べていくうちに娘によく当てはまるとわかったら、ショックな一面もあったが、

 

ずっと自分の中で無意識に「娘は病気」という現実拒んできたことにもスポットライトがあたり、前向きな気持ちへとシフトしつつあるのも感じている。

 

これも何か、私の娘の人生のプロセスのひとつなのだろうと思う。ホオポノポノでいうなら「クリーニングの機会を与えてくれてありがとう」である。

 

強迫障害というものとの出会いが私の人生で起きた。まずは日々「愛しています」とクリーニングすることから始めたい。