48歳から生まれ変わると考えた女のブログ

自分を生きてなかったことに人生折り返しをすぎてから気づきました。

自分が見つめている人生の光

義母が娘(私にとって義姉)のことで苦労している。

 

不安や愚痴を息子(私にとって夫)にぶつけている。

 

私が立ち入る話ではないが、何かの時には金銭的なサポートも必要になるので少し話にはいってみた。

 

現状はどうなのか、負担はどの程度なのか、そしてそれをこれからどうしたいのか、などを切り込んで聞いていく。

 

その上で、こうしたらいいのでは?と質問も投げかけてみる。

 

結局、義母は娘を支えていきたいのだとわかる。そして心のどこかではそうする覚悟もあるのだとわかる。

 

義母は愚痴が多い人である。しかし、心の中には娘への愛と献身を自身の光としてもっている。光は喜びである。苦労をしたとしても、それでも不思議と力がわいてくる光である。

 

賛否両論ある話ではあるが、義母の人生の光がそこにあるので、それならそこを見つめて自分の人生の決断に責任をもって前を向いて生きていってほしいと思う。

 

愚痴があるのは光を見失っている状態なのだと思う。

 

光を一心にみつめて生きていたいと、私は思う。迷う時や辛い時には、その喜びをまぶたの裏側に映し出す。

 

私にとって光は、人が笑顔を取り戻すことである、元気になることである、温もりがともることである。がんばれとエールを送ることである。

 

それが私の生きる力である。