48歳から生まれ変わると考えた女のブログ

自分を生きてなかったことに人生折り返しをすぎてから気づきました。

本当に辛かったのは。

先日、周波数をあてて身体を診断、調整する治療を受けてきた。

 

気になっていた貧血などもみてもらい、高校生の時からのものなので深いかもしれないよね、当時のメンタルを引きずっている可能性も言われた。

 

翌日、翌々日から排出が起きたのか頭痛と吐き気。被害者意識というキーワードが頭をよぎる。

 

たまたまテレビでグルメ番組があり、贅沢をすることへの批判的な気持ちとか、相反して美味しいものが食べたいよ、という気持ちが湧き上がる。

 

ひとつひとつクリーニングしていくと、高校時代の母親への憎しみが明確になってきた。幼少期から寂しい思いはしてきたが、そのことを見つめ直すことはあっても、高校時代の別の感情にはふたをしてきていた。

 

母は父と離婚して私を育ててくれたが、高校生くらいの時には経済的に豊かになり、家を建て、社交ダンスなど始めた。ある程度の経済的、時間的豊かさを手に入れたのに、それを私との時間や豊かさにつかってくれなかったことへの憎しみ、だった。

 

母が働いて自分が寂しい思いをすることは、まだ我慢ができていた、苦しい時間をともにがんばっていくという思いがあったからだ。

 

しかし、戦いを乗り越えたあと、彼女は自分の幸せへと舵を切った。私の寂しさは放置されたままであり、その時の憎しみの方が心底深いものだった。

 

グルメ番組をみて贅沢への批判と、でも美味しいものが食べたい、という思いの根底には、この時の憎しみが根ざしていると感じた。

 

母の愛情が欲しかったけど、それはずっと贅沢だと思ってきた、豊かさもそう。でも、それが可能になったのに、それを与えられることがなかったことで、一気に噴き出すものがあったのだ。

 

そこに気づき、ホオポノポノのクリーニングをし、少し眠ることで頭痛が少しやわらいだ。