どうしても受け入れるのが怖かったもの
前の記事につづくことなのだが、結局のところ「私はそれほど愛されてなかったのだ」ということを受け入れることが心底怖くて、ずっと見ないふりをしてきたのだ。
そう考えると、いろんなことが辻褄があう。
そんなこと、怖くて認められるわけがない。どうやって生きていけというのだ。私はどうしてもそれが怖かった。だから、母は苦労しているから、きょうだいは表現が下手だから、そんな風に理由をつけて正面から向き合おうとしてこなかった。
でも、それほど愛されていなかった、と考えると、親きょうだいの振る舞いに納得ができる。
心の底ではきっとわかっていた。この人、私に興味がないんだな、とある時点で思うようになっていたからだ。
ものすごい絶望と劣等意識のようなものの中で生きてきたものだと思う。
人間はそんな風に絶望の中で生まれ育ってきても、大地に芽吹く草花のように、愛としていきていけるのだろうか。