生まれ直しの道標は「豊かな人でありたい」ということ
前回までの記事のまとめとなる。
わたしは愛というものへの感性が高すぎたのかもしれないと思っている。だが、周りはそれほどでもなかった、ということなのだろう、そう思うようになった。湿度の差、のようなものである。
私にとっては、会話があり、関心、共感や理解があり、他の人間関係とは違うある種の密接さや温もりがあるのが家族だと思っていた。
自然界には豊穣な土地もあれば、砂漠もあり、どちらが悪いわけではない。砂漠には砂漠なりの生態系がある。砂粒はさらさらとしていて、個々が独立している。私が生まれた家族は砂地だったのだろうと思う。
では私はどんな土でありたいのか、と考えると砂漠として生きるのは悲しく寂しい。水や養分を含み、生を育み、その花が開くのをみつめるのが喜びである。そして、養分を蓄える器がきっとあるのだろうと考える。
豊かな人でありたいと思う。
シンプルにそれが、生まれ直しへの道標だと思う。