死について考えた。
死について考えた。
想像してみた。あ、もうお迎えがくる時だな、いよいよ自分の人生もまもなく終わるのだ、という時のことを。
これまでも、いろんなことに心の整理はたくさんつけてきた方なので、浮かぶのは子どもたちのことくらい。
死が近づいてきたら、夢の中に送り人のような人が現れるんじゃないかと思う。そして、わたしという個人の人生はここで終わりですよ、と告げにくるのだ。そしてゆっくりと幕引きが始まる。送り人は運命に沿って、淡々と幕引きの手順をすすめていく。そしてそこには少し猶予がある。死を受け入れ、自らの手で人生の扉をひとつひとつ閉じていく作業をしていくのだ。自らの意志でひとつひとつに別れを告げて閉じる、というのが大きなことだと思う。
そして、最後はストンと幕がおり、テレビの電源が切れるかのように意識の中では人生が終わるのだと思う。
その後は、想念の世界のようなところにはいるのだが、そこで自らを浄化していくのが、生きている人たちへの慈愛ではないかと思う。生きている人を愛しサポートしていくことで、亡くなった魂がまたひとつ軽くなっていく。
そう思うと、生きている間に愛の交流をちゃんとして心残りを軽くしておくのがいいのだろうな。
そしてその後は、別の時代、別の場所へいって違う課題をてがけにいくかどうか、そんなことを整理して決めていくんじゃないかと。
ふと思う。では私の今の人生、選ぶ前にどんな課題をてがけようと思って私の魂は生まれることを選んだのだろう?
きっと、大丈夫だよ強く生きていけるよ、気にしない強さと明るさ。そして、人をそのままに認める、他者をみようとしないバラバラの人たちの中で、自分自身が分裂してしまわないように自分を健やかに保つということ。孤独になるけど大丈夫だよ、そんな課題をもって生まれているように思う。
人を心配しないこと。不安に思わないこと。
自分のやりたいことをみつけること。
こどもをしっかり愛すること。なぜなら子どもへの愛は見返りを求めないから。ただただ相手の幸せを願うことだから。
それが人と人の間の自由というものを学べるレッスン。
そして生まれたことへの感謝。なぜならそれで自分が十分に満たされるから。
愛をもって他者を面白がれるようになりたい。語弊はあるかもしれないが、今はそんな風に思う。