48歳から生まれ変わると考えた女のブログ

自分を生きてなかったことに人生折り返しをすぎてから気づきました。

孤独感とむきあう。

最近、お腹が痛むことが多いので、痛いところをさすりながらぼんやりしていると、中学校時代のことが思い出されてきた。

 

これまで自覚していなかった感覚がこみ上げてきて不思議だったが、考えてみればその通りだな、と思える感覚だった。

 

それは中学校全体に対する怒りだった。

 

私は親の期待もあってか小さい頃から優等生であったが、内心のプレッシャーは大きなものだった。

 

特定の優等生への期待、スポットライト。しかし、そのおかげで身動きがとれなくなる、優等生でい続ければならなくなる。

 

人の期待には応えるもの、演ずるもの、という思い込みもあり、何年も優等生を演じ続けた。

 

そんな人間じゃないのにな、と心のどこかでは思っている。でも、みなの定義に従わないといけないと思ってがんばり続ける。

 

そしてそのフラストレーションがだんだんと生徒全体、学校全体への怒りへと姿を変えていく。

 

今になってやっと自覚できた。私は学校全体を憎んでいた。私に勝手な役割を押し着せて、と怒っている感情が、お腹のなかにまだ石のように固まっていたのだった。

 

優等生の役割を演じるのにつかれて、私は不良グループとつるむようになる。問題児になると、とても気が楽だった。先生たちは不思議と私の機嫌をとるようになった。フレンドリーになった。ぶっ叩かれるかと思っていたが逆だった。

 

心の中でそんな先生たちにがっかりしていた。大人を尊敬できなくなったのはこの頃だと思う。

 

私は多感すぎた。いろんなことを感じすぎた。そして時代は鈍感であった。

 

そして孤独感をいつも抱きかかえていた。誰にもわかってもらえない本心、悲しみをいつも抱えていた。

 

そうこう気持ちを掘り下げていると、お腹の痛みもズクズクと傷んでくる。思いが吹き出しているのがわかる。

 

さらに優しくお腹をなでていく。

 

次に思い浮かぶのは、高校時代の恋愛の傷だった。2年恋した男の子との恋がかない、交際が始まったものの、電話もなければデートに誘われることもなく、付き合っているのかもわからないまま卒業と別れを迎えた。

 

私はどうして愛されないのだろうという傷が深く残った恋愛だった。彼から交際を申し込んでくれたのに、好きかどうかわからないまま宙ぶらりんにされること、ある意味とても残酷に感じる。

 

たぶん生涯でもっとも好きになった人だと思う。今思い出しても胸がきゅうっと痛くなる。抱きしめられたかったな、と今更に思う。

 

もっと私が小さく可愛らしい女の子だったら、抱きしめてもらえたのだろうか。

 

お腹がさらにキリキリ、グルグルと痛みを放つ。

 

翌朝、布団の中で再びお腹をさすって声をきいていく。

 

大学時代のバイト先での風景が頭に浮かんでくる。バイト先の責任者のおじさまが、私ともう一人、同じタイミングで採用された女の子を連れてごはんにつれていってくれた。

 

その時、お酒も勧められたのだが、成人はしていたものの酒が苦手な私は断ったが、もうひとりのバイトの子はニコニコして「飲みます」と返事をしていた。

 

責任者のおじさまはそれが気に入っていたようだし、お酒の好きな人だったのだろう、私にこう言った。「お酒は飲めた方がいいよ」と。その席で盛り上がっていたのは言うまでもなく酒好きなふたりである。

 

私はなぜかそのシーンがたまに思い出される。少し嫌な気持ちになるが、今日は無視せずしっかり気持ちの声を聞いていくことにした。

 

ひとつには締め出されたような孤独感である。面倒見のよさそうな優しそうな責任者の人であったから、一人暮らしでありまだ社会に馴染めていない自分からすると、頼れる大人と感じていたのだろう。でも自分はダメなんだ、と思ってしまった。

 

そこからは、この自分では社会では人と仲良くやっていけないと思ったので、一生懸命仮面をつけて磨くようになっていった。仕事先の人たちに気に入られるように、明るさ、元気さ、楽しさ、私はここで働けて嬉しいですよアピール、などを身につけていくようにした。

 

ただ、それは表面的なところだけなので本物ではないし、それでは相手の心に響くこともなければ、自分もひたすらしんどい毎日を送ることになるのであり、孤独感はむしろ増していく一方なのだった。

 

本当にみじめな人生である。

 

だからどのバイトも数ヶ月しか続かなかった。学校を卒業して就職してからも、よくて1〜2年である。そしてますます自己肯定感は下がる一方だったと思う。社会に馴染めないダメな人間という信念が強く強くなっていく。

 

ふと叫びたい気持ちにかられてくる。

 

私だってひとりの人間だ!

 

すると繰り返し瞼の裏にうかんでくるのは赤ん坊の姿だ。かわいらしく、皆から祝福をうける赤ん坊。尊い命。そうやって愛され祝福されているひとりの人間で私もあってよいのだ。

 

そんな思いがこみあげる。

 

生きていっていいのだ。呼吸をしてもいいのだ。愛されてもいいのだ。必要とされてもいいのだ。泣いたっていいし、怒ったっていい。喋ったっていいし、笑ったっていいんだ。歌ったっていいし、誰かを愛してもいいのだ。

 

私はあまり望まれて生まれた人間ではない。いつもついて回る孤独感の裏側には、そん理由があるのかもしれない。

 

でも、わたしはこの孤独感を乗り越えていくことで、強く優しくなれるんじゃないかと、心の片隅では考えているのだ。