親から受けた失望が、我が子へと連鎖してしまう辛さ。
母に期待外れと言われたことを思い出していて、激しく気持ちが動揺した。
気持ちを整理し、手放していきたいと思っている。
潜在意識のつながりとは不思議なもので、娘がこんなことをいった。
学校で居眠りしてしまうことがあって、それをお母さんに言うと失望して怒るんじゃないかと思ったりしてた、と話してきた。
私は娘を否定したり、失望といったことを伝えたりしたことはない。自分がそうされたら辛かったから、認める言葉やほめる言葉を意識して育ててきたつもりだった。
私が負った傷は、私ひとりが抱えて墓場まで持っていけばいいこと、と思っていたが、親子で無意識に連鎖してしまうことを痛感している。
まずは自分の深い憎しみと悲しみを昇華させていきたいと思っている。
娘の強迫障害について。自分を振り返る。
娘の強迫障害のことを考えていて、ふと気づいて愕然としたことがある。
私は自分が思ったように娘が生き生きとできていないことに、怒りを感じているのがわかった。
しかしそれは、私が自身のことでもあるとわかった。ずっと母親は私を期待はずれと言ってきた。
それが本当に辛かったし憎しみさえ覚えていた。
まずは、私が母に対して抱いている気持ちを見つめ直して手放していくことから始めてみたい。
娘が抱える不安と強迫障害というもの。
昨日のことである。娘から「学校の先生から強迫障害ではないかと言われた。病院に行きたい。」と告げられた。
これまで心配性、不安症な面があるのは知っていたが、私の心のどこかで「病気」だと受け入れることが怖かったのかもしれない。
娘の心配性の根本は、自分を愛で守ろうとしているから、そんな風に感じていた。
大好きだよ、ありがとう、そんな風に言ってあげるといいですよ、とアドバイスを受けたこともあったが、人一倍、娘には愛情をかけてきたつもりでいたので、少し愕然とした記憶もある。
それからも、話をたくさん聞いてあげたり、抱きしめたり、ということは意識してきたが、どんなにそれを積み重ねても次から次へと新しい不安が起きて、これもう本当に終わりがない底なし沼なのか?とこちらが苦しくなったりもした。
しかし、昨日は強迫障害という言葉を知り、ネットで調べていくうちに娘によく当てはまるとわかったら、ショックな一面もあったが、
ずっと自分の中で無意識に「娘は病気」という現実拒んできたことにもスポットライトがあたり、前向きな気持ちへとシフトしつつあるのも感じている。
これも何か、私の娘の人生のプロセスのひとつなのだろうと思う。ホオポノポノでいうなら「クリーニングの機会を与えてくれてありがとう」である。
強迫障害というものとの出会いが私の人生で起きた。まずは日々「愛しています」とクリーニングすることから始めたい。
自分が見つめている人生の光
義母が娘(私にとって義姉)のことで苦労している。
不安や愚痴を息子(私にとって夫)にぶつけている。
私が立ち入る話ではないが、何かの時には金銭的なサポートも必要になるので少し話にはいってみた。
現状はどうなのか、負担はどの程度なのか、そしてそれをこれからどうしたいのか、などを切り込んで聞いていく。
その上で、こうしたらいいのでは?と質問も投げかけてみる。
結局、義母は娘を支えていきたいのだとわかる。そして心のどこかではそうする覚悟もあるのだとわかる。
義母は愚痴が多い人である。しかし、心の中には娘への愛と献身を自身の光としてもっている。光は喜びである。苦労をしたとしても、それでも不思議と力がわいてくる光である。
賛否両論ある話ではあるが、義母の人生の光がそこにあるので、それならそこを見つめて自分の人生の決断に責任をもって前を向いて生きていってほしいと思う。
愚痴があるのは光を見失っている状態なのだと思う。
光を一心にみつめて生きていたいと、私は思う。迷う時や辛い時には、その喜びをまぶたの裏側に映し出す。
私にとって光は、人が笑顔を取り戻すことである、元気になることである、温もりがともることである。がんばれとエールを送ることである。
それが私の生きる力である。
優しさについて、楽になった考え方。
ここ最近、パート先の上司からきつく叱られ、もう少し優しく接してくれてもいいものなのに、と思った。
けれど、人に優しくされないとなんで?と思ってしまうような生き方だと、永遠に満たされない気がした。人っていつも優しいわけじゃないし、他者に左右されてしまう。
優しさとか愛情って、人からもらうものだけじゃなく、自分が人に対して優しさや愛情をもっていたら、結局優しさと愛情の中に自分がいることになるんじゃないかと思った。もらう側かあげる側か、の違いってそんなになくて、もらえないなら与えていけば、けっこう幸せな気持ちで生きられるんじゃないかとも思う。
ちょっとクセのあるような人に対してでも、人としての愛情もっていられると、けっこう幸せだったりする。許せるラクさだったり、自分はいい人たちの中で生きてるなっていう満足感だったり。
それでいいんじゃないかと思う、
パートを始めて気づいたこと。サービスは社会との契約、合意、共存の仕組み。
最近、パートを始めることにした。
お金を稼ぐことも目的のひとつだが、自分もひとつ成長する、というのも目的のひとつだと感じている。
昔から母親の愛情がお金に換算されることが多く、それもあってかお金を目的にするビジネスというものには本当の愛はない、と考えていた私だが、
そもそもビジネスとは社会との契約であるので、慈愛や奉仕とは別物なのだとわかってきた。
パートはチェーン店のレストランなのだが、レストランは社会に合意された資産であり、そこを利用する人の「お金を払うので、快適な空間とサービスの中で美味しいものを食べさせてほしい。そういうレストランを日常的に運営してオープンしておいてほしい」という要望に応えて運営をしている、社会に合意された資産でありサービスである、と考えるようになった。
なので対価をもらうのは当たり前であり、それにより大衆の求めるニーズ(時代とともに変化していく)に柔軟に努力して応えていくもの。だから厳しさも当然あるし、私がいち労働者もしてレストランに迎え入れられたということは、そこを利用するお客さん(出資者)にも潜在的には許可をもらってサービスの提供の代わりに給与をもらうという契約しているようなもの。
レストランとお客は二人三脚なのだと思うようになった。合理的な仕組みである。わたしはそこで求められるサービスを提供できるように自分の腕を上げていくだけである。そして社員割引というサービスまでいただいて、少し安く飲食できたりもするのだ。
レストランを訪れる人は、そこで生きる糧と元気を養い、それぞれにまた社会で活動していく。それらは循環して、巡り巡る。
49歳にしてようやくそんなことが分かり始めている。
なので、料理長が言うことは、お客さんが言っていることと同じなのだ。そして、私もそれに同意している。おいしいレストランを維持して成長させていこうね、それによって幸せと活力をみんなの中に循環させていこうね、という、よくできた仕組みなのだ。その仕組みの中で私もまた豊かになっていけるのだろう。
がんばろう。
孤独感とむきあう。
最近、お腹が痛むことが多いので、痛いところをさすりながらぼんやりしていると、中学校時代のことが思い出されてきた。
これまで自覚していなかった感覚がこみ上げてきて不思議だったが、考えてみればその通りだな、と思える感覚だった。
それは中学校全体に対する怒りだった。
私は親の期待もあってか小さい頃から優等生であったが、内心のプレッシャーは大きなものだった。
特定の優等生への期待、スポットライト。しかし、そのおかげで身動きがとれなくなる、優等生でい続ければならなくなる。
人の期待には応えるもの、演ずるもの、という思い込みもあり、何年も優等生を演じ続けた。
そんな人間じゃないのにな、と心のどこかでは思っている。でも、みなの定義に従わないといけないと思ってがんばり続ける。
そしてそのフラストレーションがだんだんと生徒全体、学校全体への怒りへと姿を変えていく。
今になってやっと自覚できた。私は学校全体を憎んでいた。私に勝手な役割を押し着せて、と怒っている感情が、お腹のなかにまだ石のように固まっていたのだった。
優等生の役割を演じるのにつかれて、私は不良グループとつるむようになる。問題児になると、とても気が楽だった。先生たちは不思議と私の機嫌をとるようになった。フレンドリーになった。ぶっ叩かれるかと思っていたが逆だった。
心の中でそんな先生たちにがっかりしていた。大人を尊敬できなくなったのはこの頃だと思う。
私は多感すぎた。いろんなことを感じすぎた。そして時代は鈍感であった。
そして孤独感をいつも抱きかかえていた。誰にもわかってもらえない本心、悲しみをいつも抱えていた。
そうこう気持ちを掘り下げていると、お腹の痛みもズクズクと傷んでくる。思いが吹き出しているのがわかる。
さらに優しくお腹をなでていく。
次に思い浮かぶのは、高校時代の恋愛の傷だった。2年恋した男の子との恋がかない、交際が始まったものの、電話もなければデートに誘われることもなく、付き合っているのかもわからないまま卒業と別れを迎えた。
私はどうして愛されないのだろうという傷が深く残った恋愛だった。彼から交際を申し込んでくれたのに、好きかどうかわからないまま宙ぶらりんにされること、ある意味とても残酷に感じる。
たぶん生涯でもっとも好きになった人だと思う。今思い出しても胸がきゅうっと痛くなる。抱きしめられたかったな、と今更に思う。
もっと私が小さく可愛らしい女の子だったら、抱きしめてもらえたのだろうか。
お腹がさらにキリキリ、グルグルと痛みを放つ。
翌朝、布団の中で再びお腹をさすって声をきいていく。
大学時代のバイト先での風景が頭に浮かんでくる。バイト先の責任者のおじさまが、私ともう一人、同じタイミングで採用された女の子を連れてごはんにつれていってくれた。
その時、お酒も勧められたのだが、成人はしていたものの酒が苦手な私は断ったが、もうひとりのバイトの子はニコニコして「飲みます」と返事をしていた。
責任者のおじさまはそれが気に入っていたようだし、お酒の好きな人だったのだろう、私にこう言った。「お酒は飲めた方がいいよ」と。その席で盛り上がっていたのは言うまでもなく酒好きなふたりである。
私はなぜかそのシーンがたまに思い出される。少し嫌な気持ちになるが、今日は無視せずしっかり気持ちの声を聞いていくことにした。
ひとつには締め出されたような孤独感である。面倒見のよさそうな優しそうな責任者の人であったから、一人暮らしでありまだ社会に馴染めていない自分からすると、頼れる大人と感じていたのだろう。でも自分はダメなんだ、と思ってしまった。
そこからは、この自分では社会では人と仲良くやっていけないと思ったので、一生懸命仮面をつけて磨くようになっていった。仕事先の人たちに気に入られるように、明るさ、元気さ、楽しさ、私はここで働けて嬉しいですよアピール、などを身につけていくようにした。
ただ、それは表面的なところだけなので本物ではないし、それでは相手の心に響くこともなければ、自分もひたすらしんどい毎日を送ることになるのであり、孤独感はむしろ増していく一方なのだった。
本当にみじめな人生である。
だからどのバイトも数ヶ月しか続かなかった。学校を卒業して就職してからも、よくて1〜2年である。そしてますます自己肯定感は下がる一方だったと思う。社会に馴染めないダメな人間という信念が強く強くなっていく。
ふと叫びたい気持ちにかられてくる。
私だってひとりの人間だ!
すると繰り返し瞼の裏にうかんでくるのは赤ん坊の姿だ。かわいらしく、皆から祝福をうける赤ん坊。尊い命。そうやって愛され祝福されているひとりの人間で私もあってよいのだ。
そんな思いがこみあげる。
生きていっていいのだ。呼吸をしてもいいのだ。愛されてもいいのだ。必要とされてもいいのだ。泣いたっていいし、怒ったっていい。喋ったっていいし、笑ったっていいんだ。歌ったっていいし、誰かを愛してもいいのだ。
私はあまり望まれて生まれた人間ではない。いつもついて回る孤独感の裏側には、そん理由があるのかもしれない。
でも、わたしはこの孤独感を乗り越えていくことで、強く優しくなれるんじゃないかと、心の片隅では考えているのだ。